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MU-2 (救難機) : ミニ英和和英辞書
MU-2 (救難機)[き, はた]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

救難 : [きゅうなん]
 【名詞】 1. rescue 2. salvage
: [なん]
  1. (n,n-suf) difficulty 2. hardships 3. defect 
: [き, はた]
 (n) loom

MU-2 (救難機) ( リダイレクト:MU-2 ) : ウィキペディア日本語版
MU-2[えむゆー2]

MU-2は、日本三菱重工業が製造した多目的小型ビジネス飛行機で、双発のプロペラ機1963年昭和38年)初飛行。
== 経緯 ==

=== 日本初のビジネス飛行機 ===
三菱から多数の技術者が出向し、日本航空機製造YS-11開発が行われていた1960年昭和35年)ごろから企画が始まった。三菱はF-86FS-55ライセンス生産を通じて戦前の自信を取り戻しつつあり、次期主力戦闘機の調査団として参加した三菱の池田研爾課長は、アメリカで多数の小型ビジネス機を目撃し、「この程度なら三菱でもできるのでは」と考えて、帰国すると早速、若手技術者らに自分の見たものを説明し、独自に計画を進めた。
コンセプトとしては、両用の小型ターボプロッププロペラ機で、市場北米の社用・自家用のビジネス向けとした。また、日本の現状を考えて、技術的にも経営的にも背伸びしないもの、欧米その他、海外輸出可能なものとして設計を進めた。
なるべく欧米の真似ではなく、三菱らしさを前面に出すため、基礎技術など以外はほとんど独自に設計を行った。参考として役立ったのが、三菱が保管してきた戦前および戦中軍用機図面で、若手技術者は陸軍の「キ83」試作遠距離双発戦闘機を参考にしたほか、アメリカの航空雑誌の断片記事のコピーで勉強したという。
当時の小型飛行機は、戦前のレシプロエンジンをそのままターボプロップに載せ変えているだけという場合が多く、全く最初から設計した三菱は、それだけで注目を集め、有利だと考えられた。
1963年(昭和38年)9月14日に試作1号機(JA8620)が初飛行したが、いろいろと不具合が見つかり、また、量産方式に不慣れな点があったことから、ライセンス生産していたF-86Fの方式を参考にした。1965年(昭和40年)2月19日MU-2A運輸省(現国土交通省)航空局の型式証明を取得し、9月には米国向けにギャレットエンジンに変更したMU-2Bも取得、11月にアメリカの連邦航空局(FAA)の型式証明も取得でき、翌1966年(昭和41年)に発売を開始した。
型式証明に先立って、1964年(昭和39年)に西ドイツハノーファーでの航空ショーに出品、「ゼロ戦を作った三菱のビジネス機」として注目を集め、翌1965年(昭和40年)からは欧米各地へデモフライトを行い、前宣伝を行ってきた。日本国内では陸上自衛隊航空自衛隊作戦機として、そして毎日新聞社が社機として採用を決定、これも相当な宣伝になった。
なお、1966年(昭和41年)には、日本での公演の為に来日していた当時のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンが三菱重工小牧工場を訪れ、MU-2のコックピットに座ったという出来事もあった。カラヤンのMU-2に対しての感想は上々であったという。〔前間孝則『日本はなぜ旅客機をつくれないのか』〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「MU-2」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mitsubishi MU-2 」があります。




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